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おん かかか びさんまえい そわか
蒼き日々

 お地蔵様は、なんとも複雑な表情で自分の石像に視線を落とした。

 遠い昔、流行り病から村を守る為、辻に置かれたお地蔵様の石像。丸っこい顔に、宝珠と錫杖を持った姿。長い年月を物語るように石には苔が生えている。首にかけられた赤いよだれ掛けは糸がほつれて、長く日に当たったせいか色褪せていた。

 その今にも朽ち果てそうなお地蔵様の前で、美しい顔と出で立ちを持つ地獄の獄卒が、両の手を合わせて一生懸命願いを唱えていた。いや、願いというより愚痴を垂れ流していた。普段、凛々しい姿で五道転輪王の書記官をしている彼だが、今はその片鱗も見せていない。

「お地蔵様、お地蔵様。どうか、私の愚痴を聞いてください」

「うん、聞いてる。直ぐ後ろで聞いてる」

 獄卒の言葉に答えてやると、彼は不服そうな表情を浮かべてこちらを振り返った。赤紫色の瞳を嵌め込んだ目は、じっとりとした視線を送り出し、お地蔵様を射抜いている。

「怒った目も好きなんだよな」なんて言うと怒られそうなので、言わないように口を閉ざす。お地蔵様が黙ったままでいると、つんとした口調が耳の鼓膜を震わせた。

「あなたに言っているのではありません。こちらのお地蔵様に言っているのです」

「お地蔵様は私なんだけど? 本体なんだけど? そこにある石は私を模した物であって、あくまで拝んだ子の意思を届ける石に過ぎないんだけど?」

「そもそも、君のお地蔵様は私だよ?」と、早口で捲し立てると「ああ、煩い」とばかりに耳を塞がれた。

「いいから、聞け。私の愚痴を聞け」

 関ヶ原で戦があった頃。【縁談を断りたいから、結び糸を切って恋人のふりをしてくれ】と頼んで来た彼から、問答無用とばかりに切り捨てる声音で言われる。

「はい」と、仕方なく返事をすれば、彼は再び石と向き直り、しっかりとした声音で言葉を続けた。

「二十六人目ができました」

「なんて?」

 お地蔵様は、獄卒の唐突な切り出しに思わず気の抜けた言葉を発する。

 獄卒は構わず続けた。

「母に、二十六人目ができました」

 そこまで聞いて、ようやくお地蔵様も「ああ」と理解する。

 そして、少し遠くに視線を向けた。

 獄卒の周囲に漂う空気は、どんよりとした重たいものへと変わる。

「二十六人目かあ……」

「二十六人目です……」

 獄卒も、母のお腹に子が宿ったことを聞いたのは先週だったという。

 最近、母の体調が優れない日が続いており、父親である五道転輪王とと少々気を揉みながら仕事をして家に帰ったところ、出迎えた母から直々に聞いたという。

 聞いた直後は「おめでとうございます」と、素直に腰を折って両親に祝いの弁を述べたが、自分の部屋に戻ってから事の重大さに気づいてしまったそうだ。

 誰が面倒を見るのか。と。

 二十四人も下にいるが、実家に居る弟妹は十歳と五歳、そして一歳だけだ。腹の子が生まれる頃には歳を一つ重ねている幼き子らである。成人した子らは、嫁をとったり貰ったり、嫁いだり、転生したり、現世に移住したりで、実家から出ていた。

 平安中期に獄卒が生まれてから約千年。その間に、彼の両親は適度な間隔でぽこぽこと子どもを作っては産み、その度に獄卒は子育てを手伝った。実家にいる大人が、両親を除けば自分だけだからというのもあるが、嫡男として産まれた責任感もあるだろうし、なにより彼自身が弟妹を可愛がる性格だった。

「ご両親の仲が良いことも、子が生まれることも、大変喜ばしいことだと思うよ。私は」

「私も、わかってはいるんです。大変、恵まれた家族のもとに生まれてきた、と。だからこうして、腹の子が生まれる前に愚痴っているのです。経験上、生まれてきたら可愛がるのが目に見えていますからね」

「両親の前では絶対に言えないことだ」と、獄卒は息を吐いた。

 本当は言いたくないのだろうけど、言わないとやっていけない事もある。

 そういうことなら、いくらでも愚痴に付き合ってあげよう。彼の愚痴を聞けるのはきっとお地蔵様だけだし、逆もまた然りだ。

 お地蔵様が、柔らかな微笑みを湛えていると、獄卒は一度口を結んでから、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。

「子が生まれるということは、父が育休に入るのです。その間の裁判を私がやるということで、近々調整に入ります。まだ十月も先の事ですけど……。お地蔵様と駄弁ったり愚痴ったりする機会がぐんと減りますが、大丈夫ですか?」

「それは由々しき事だ」

「言うと思いました」

「なら聞かないでよー」

「一応、確認はしておこうかと。とは言っても、子どもを守る立場のあなたですから、私の判断を覆す真似はしないでしょう?」

 迷いのない言い方に、お地蔵様は目を丸くする。

 獄卒の赤紫色の瞳はどこまでも真っ直ぐだ。覆させる気は毛頭ない。

 お地蔵様は、頑固な彼を前に肩を小さく上下させ、「そうだね」と小さく返した。

「誰かが誰かの子であると思う限り、私はその子の味方だ」

 そう告げると、獄卒は安堵した様子を見せた。引き結ぶことが多い唇が、珍しく綻んでいる。

色あせたシェイプ

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